PROFILE

陽キャに見えて実は陰キャ。
年下よりも年上に慕われる。

仕事は好き。
でも単純作業は大嫌い。
好奇心がありすぎて散らかりがち。

焦りは禁物。
を言い訳にフリー歴3年。
いよいよやばいぜ30代。

なにも考えずボケーと過ごした日々。

そこに訪れる現実。

日本の中でも圧倒的な”沖縄の低賃金労働”。

〇「会社員だけだとまじできつい。」
〇「色んな会社を転々」
〇「学歴もない」

でも友達はみ~んな、のほほんとしている。

・・・このままではやばい。

気付いたときから色々動き出してきた。

週末飲み会大好きな平凡な男が、いろんな副業で価値観が変わっていった。

圧倒的なサボり癖と世渡り上手な…(10代前半)

3兄弟の末っ子。(長男:7コ上 / 次男:2コ上)

兄の影響で小3からサッカークラブに入会。
「サッカーしたら友達増えるかも」という関係ない理由で入会。
案の定サボりがちに。

割と運動神経は良く、学校代表で地区の陸上大会などではそこそこの成績を収める。

〇走り高跳び:5年生の部 優勝
〇走り高跳び:6年生の部 優勝

ふと振り返ると、人生でいちばんのモテ期だったかも。

〇女の子からクリスマス誘われる
〇バレンタインチョコをもらう
〇誕生日プレゼントをもらう など

だが、中学ではそのサボり癖に磨きをかけ、2年生の頃は給食を食べたら帰るという日々を過ごす。

(今だから言えるけど、学校の先生とはウマが合わなかった。。)

受験が迫った3年になると、焦りはじめ少しだけ塾へ通う。
割と勉強もできた方で、受験勉強はなんなくこなせた。

2年時の通学状況が響き、希望していた高校の受験を断念。
『周りに多いから…』という理由で、工業高校へ進学を決めた。

(学校行っとけば・・・と後悔したのは言うまでもない)

ミスター中途半端をいかんなく発揮・・・(10代後半)

工業高校は9割が男子。
年頃の男の子には、なかなかしんどい環境だ。

しかし、運よく1割の女子から人生初めての彼女が…。
まさに青春。

2年になると同時に、バイクの免許を取得しバイト生活が始まる。
初めてのバイトは某大手ピザ屋の配達。

(バイクに乗りたいのが理由である。)

ピザ屋が最も忙しいのは12月25日。

『初めての彼女とクリスマスを過ごさないわけにはいかない!』というなんとも身勝手な理由で逃亡。

まさに中途半端の極み。

(店長…ホントごめんなさい。)

3年生になると近場の焼き肉屋でバイトを開始。
幸いにも年下の高校生が多く、先輩ヅラして残りの期間を過ごす。

『絶対就職する!』と入学時から決めており、大学受験などはせず就職先を探す。

社会って厳しすぎない?…(20代前半)

『知っている会社だから』という理由で地元沖縄の割と大きな会社に入社。

(知らない県民はいないんじゃないかな…?)

ここで痛感した社会の厳しさ。

〇激早の早番
〇脱力の中番
〇激眠の遅番

それに加え、

当たり前のサービス残業、レジ金の帳尻合わせ、休日出勤。
いつ鳴るかわからない電話。

超絶ブラック企業 笑。

上司ガチャも見事に外し、スーパーパワハラ上司にこき使われる。

(ひどい時は早番からラストまで勤務よ)

社会を知らないペーペーが、ただ逃げたい!という理由で退職を決意。

(今となっては『まだあの会社にいたら…』と思うとゾッとしてる。)

周りの友達は大学、専門学校に通う学生。

『学校に行きたい!』という気持ちが芽生え、選んだのは簿記の資格講座!

全然学校ではないが、なんとなく学生っぽい振る舞いがしたかったのね。

しかし持ち前のサボり癖&中途半端を発揮し、お金を払ったにも関わらず途中で行かなくなる。

その後は某アパレル店でフリーターとして過ごし、人生にとって最も元気がある20代の前半を棒に振る。

これ宗教じゃね?怪しいビジネス集団に遭遇…(20代中盤)

アパレル店の将来性に不安を感じ、こっそりと医療事務の資格を取得。

早々にお店を辞め、資格を活かせる就職先を探す。

『安定した仕事…安定した仕事…』

脳内すべてはコレに支配され、、

机の上でパソコンを触る=安定

という馬鹿みたいな考えを持っていました。

(まじで持ってた)

新しい就職先は、大きな病院から委託で業務をもらっている会社。

想像以上の低賃金に絶句。

(手取り11万とかだった)

周りの社員からも生気を感じられず、1年で辞めよう!と決意。

安定→将来性に考え方もシフトチェンジしてました。

…1年後。

次に選んだのは『ポジティブ!ポジティブ!』が口癖な、なんとも怪しいビジネス集団。

雇用という働き方ではなく、このポジティブ集団から商品を仕入れて、自分で売ってくる。という仕事でした。

いわゆるフリーランス。

当時はこんな働き方があることすら知らず『自分のビジネスってかっこいい!』と思い、契約を交わし怪しい集団の仲間入りを果たす。

ただ、物を売るというのは想像以上に厳しく、生半可な気持ちでは絶対に売れないと痛感。

1年ほど続けたがあえなく断念。

またまた就職先を探す。

もう後がない…(20代後半)

まだ20代だったため、簡単に次の就職先が見つかる。

選んだのは『出張買取』。

金銀財宝、ブランド品を見定め、買い取ってくる仕事。

今でこそ買取屋さんは多くなっているが、当時はそこまで店舗もなく割と繁盛していた。

しかし、買い取りという仕事は『いかに安く買い取れるか?』が重要であるため、優しいひとほど心が痛くなる。

(給料はめっちゃ良くてMAX45万ぐらいは貰った)

勤務時間も長くほぼ自分の時間がない悲壮感と、上司ガチャの失敗で、退職を決意。

『今までと同じ考え方ではダメだ…』

〇手に職を
〇今まで避けてきた
〇人がやりたがらない

そこで選んだのが今現在も勤めている『WEB会社』である。

文字入力しかできなかった男がWEB制作会社へ…(~現在)

『パソコン苦手な人が多い理由はこれか…』

医療事務のときに経験したのとはレベルが違うほど、専門用語のオンパレード。

HTML?CSS?PHP?WordPress?

分からない横文字だらけで、覚えるのに必死。

この頃にはサボり癖&中途半端な性格は改善されつつあったので、パソコンを購入し自宅でも自習を始める。

(このブログを作れるほどに成長している)

今まで『インターネットは見るだけの物』という価値観で生きてきた人間が、自分でサイトを作る立場になり、圧倒的に世界観が変化。

覚えるもの全てが新しく、楽しく、魅力的でした。

自分で作ったものを誰かが見てる。

これに楽しさを覚え、ブログ、SNS、YouTubeなど情報発信が大好物に。

YouTubeって楽しそう!

始めた当初はすでにHIKAKINさん、はじめしゃちょーさんなど、大物YouTuberと呼ばれる方が多数。

『好きなことで、生きていく』というキャッチコピーに感銘受けたのを覚えています。

自分もやってみたい!と思い立ち上げたのは『粘土遊びチャンネル』

手元にあったiPhoneとiPadを駆使し、アプリで動画編集から始めた。

アートの才能など微塵もない人間が、突然粘土をこねだしたところで伸びるわけありません。

(今では黒歴史です)

初のYouTubeチャンネルは10本アップしたあと、ライフがゼロになり断念。

その時に感じたのが、

  • 「アプリで編集は限界ある…」
  • 「データ容量がすぐパンクする・・・」
  • 「ハイスぺのPCが必要だ…」
  • 「カメラはスマホじゃだめだ…」

手軽に始めることもできるけど、長期的にやり続けるにはやはり機材が必要でした。

少ない資金を元に、カメラを購入。

「自分でも出来そうなチャンネルを探そう!」

そして、次に思いついたのが地元沖縄の良さを活かしたチャンネル。

これが現在運営中の『わたっちの家』

不定期更新ながら、開設から413日で登録者1000人、収益化を達成。

(1000人になった日は嬉し泣きしなが通勤した)

思わぬ副産物が…

もともとPCを使うことは慣れていたので、動画編集も割とすぐできるようになった。

収益化したことを自慢しまくっていたので『YouTubeやってる奴』という認識が広まり、自分もやりたい!という人から相談がちらほら。

それからご縁があって他のYouTubeを手伝うようになり、良い時では10万円ほどの案件が…。

給料以外の振込があるって感動まじで

心も財布も豊かに…なったね~。

(使えるお金が増えるのマジでデカい)

副産物はお金だけではなかった。

関わったお店の方や、自分の発信を見てくれる視聴者さんなど、人脈がめっちゃ広がった。

YouTubeのおかげで少しだけ人生が上向き始めた…かも。

あぁ、この先どうしよう。。

目標、目的がないと頑張れない。。

ので、

〇チャンネル登録1万人
〇会社員卒業
〇他のチャンネルも収益化
〇彼女作る

ざっくりとした目標を設定。

給料を超えたら会社員は卒業!

(もう少し…かな笑)

あ~彼女ほしい。

質問などは各種SNSからどうぞ(‘ω’)ノ

PS
ここまで読んで頂き、感謝感激。
なかなかYouTubeでは語れないこともたくさんあるので、このブログもちょこっと見てくれると嬉しいです。